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日記・コラム・つぶやき

2016年11月 7日 (月)

我家付近の戦争です。

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こんな平和な我家付近です。関電と行政が「電磁波」で住民を白血病にしようとしています

我家近くの大通りに関西電力が白血病の下になる「凄い電磁波」を通すようです。みんな反対してますが200マイクロ・ヘルツは日本では合法なんです。欧州では1・0と決めてますが。

WHOの値を決める専門家も「守る会」にいます。所謂24時間浴び続ける数値ではなく、ペースメーカー使用の方は2MHの場所で外へ出られません。トンネル工事の専門家も「守る会」に居ます。関電は「地下5mは大丈夫、レンジ等家電からの電磁波に囲まれて生きている」と数値抜きに繰り返してます。「地下50mなら今の技術なら工事も安価で早い」と神戸地裁に出しましたが結果は「自治会員は仲良く」」で棄却です。高裁までは闘います。自治会長は一度も一般会員との話しに出てきません。我家は「通り」から80m離れてますが、通り沿いの幼児の白血病にかかる危険性は原発事故直後になるんです。「自治会委員」改選選挙にも「反対する者は仕事を持ってるから候補外」とまで言い、総会に現自治会がホントに「総会屋」を呼ぶ始末です。パトカーを呼びました。地裁はそんな事も含め大企業に問題なしとの事です。

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50m地下工事は進むIT社会のように簡単な安全な工事なんです。工事は神戸製鋼、電力は関電という大企業の「税負担」もあり、役所もOKする始末です。今はこれ以上は書けません。

音楽 元気 まず僕のエリアの「自治会役員」は名誉職的です。その人たちと関電が「僕等に説明せずに」勝手に「握手」して工事を決めました。丁度「自治会役員選挙」が今年6/5にありました。1200人の会員の総会~選挙を70名規模の場所で強行しようとしての警察沙汰です。総会屋が「委任状を出せ!」というので、「守る会」は委任したら過半数の総会~選挙が認められるので700名以上の委任しない人の当日のものは持ってます。裁判は「旧自治体」VS「守る会+賛同会員」です。役所が後に居て「地裁」で負けました。4月には関電は工事を始めます。「健康を守る会」のH・Pは「御影山手健康を守る会」と入れて検索してみて下さい。
本日もAM10時~12時の「守る会」住民の会議が13時半まで延びてありました。2002年に「朝日新聞」は一面にこんな工事は0・4マイクロ・ヘルツ以下でないと「とても危険」と言い切っています。各戸に旗を立てるとかしないと、一番危険な「通り沿いの人々」が「怖さ」を認識されてないのです。


役所側の弁護士は赤字がわかってる「神戸空港」の利用予想等で建設させたような「つわもの」です。

自治会員は1200人います。「健康を守る会」も6/5の自治会員の選挙に立ち上がりましたが、「候補者」としても無視です。区役所町づくり推進課も200マイクロヘルツは安全値と繰返しています。この200は突発的な場合の数値です。

上の「総会屋と住民が呼んだパトカー騒ぎ」も自治会側は「動画を編集し」住民が悪者のように編集して地裁に提出してます。「そんな中での、地裁での棄却」という判断です。4月には工事が始まります。「高裁」にまでは係争は可能なので「守る会」も上告しますが、この係争はそれ以上できないのです。このまま負けて数年後以降、白血病になる確率が凄く高いのです。「ああ言えばこう言う」レベルの裁判で「殺されたくない」のは当然です。

2002年の時点で朝日新聞は一面に「磁力を伴うものの建設工事には、近くに住民、会社等人が常駐する場合には「0・4マイクロヘルツ以下にしないと危険」と言い切っています。民家は24時間(1日)磁力を浴び続けます!!

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とにかく来年4月以降、関電、神戸製鋼(工事主体)、無知な「行政」によって「命が奪われる工事が始まります。

2016年10月13日 (木)

自由が丘の街~最近の友人の写真での・・

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くどく僕の持っている「私鉄沿線」のEP盤です。彼の西城秀樹とは対照的な「地味さ」が好きでした。^僕の街でもう一度だけ 熱いコーヒー飲みませんか あの店で聞かれました 君はどうしているのかと~^昭和歌謡の名曲です。自由が丘が舞台でしょう。

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駅前のロータリーです。タクシーの右が改札口です。

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八幡小学校近くの下宿へと向かう通りです。M学に通っていた同じ宿の友人が最近撮ったものです。

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ここから歩いて5分という、当時駄菓子屋だったところです。

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ここが下宿の跡です。お子さんのいないご夫婦がやっていた一戸立ちも敷地内にある、広い敷地で子供たちの「遊び場」のようになっていました。「世田谷区玉川田園調布」でご夫婦の亡き後は区に寄付されたと聞いています。自由通り沿いに位置していました。自由通りには「VAN」の喫茶店がありました。「君」は僕の中では実在の人物でもあり、「70年安保の時代」でもあり、「この街」でもあります。

^買物の人でにぎわう街に もうじき灯りともるでしょう

僕は今日も人波さけて帰るだけです一人だけで

この街を越せないまま君の帰りを待ってます

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